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let me speak of love, roxanne

   
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19、20

 友だちが死んだ。
 というメールが、バイト中に入った。午後6時半のメール、見たのは8時半を過ぎたころ。

 高校3年の時のクラスメートだった。
 修学旅行が同じ班で、一時期わりと仲良くしていた子だ。
 バイクにつっこまれて、という話を同じクラスだった別の友だちに聞いた。
 まだ19、これから20歳になる私たちなのに、なのに、彼女は死んでしまった。

 バイト帰り、ラッシュの電車から降りて人の波に押されるように階段を登る。人波は私を置いてきぼりにするかのように、早足で私を追い抜いていき、その流れについていけない自分と、ついていけない彼女のことを思った。

 どうして、なんのために、この人たちは(私は、彼女は、砂雄は)生きているんだろうと、果たしてこの人波を作っている人たちは自分が生きているということをわかっているのだろうかと、そんなことばかり思ってしまって、改札口の色が霞む。

 砂雄のことを思わずにはいられない。
 つい一週間くらい前、砂雄のおじいちゃんが亡くなった。それから砂雄は、気力を、なくしてしまったようだった。
 きっと、生きているということを彼が実感したから、今のままじゃ「生きる」ことにならないということに、気づいてしまったんじゃないだろうか。その意識が、彼の中ではっきりとした形にはなっていないだろうけれど。

 砂雄には、「これ」というものがない。例えば私にとっての創作活動であったり、樹里(あめこの親友でピアニストの卵)にとってのピアノであったりするものが、砂雄にはない。特に好きなものもないから、とりあえず就職する。大学の卒業単位も取ったからとりあえず遊ぶ。そこら中にいる若者そのままの人だ。
 だからこそ砂雄は、生きていることを実感した今、なにかしらの焦りをかんじているのかもしれない。それは私にはない、焦りだ。
 私には文章がある。ことばを綴ることができる。それは「生きる」ことに直結しているから、死を目の前にして生を実感したとき、確かに私は生きているのだ、と思うことができるのだ。
 でも、それは、砂雄には、ない。
 なにかしなければと、砂雄は今もがいている。流砂にはまってしまったようにも見えるけれど、彼は確かに、何かつかもうとしている、ように見える。

 生きていることを知らずに生きるのではだめなのだ。
 「生きる」ことが、死と生を結ぶただひとつのものなのだ。

| 日々 | 00:26 | comments(0) |
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